エリニュス島の北側に位置する科学研究機関。正式名称は「フォンテーヌ運動エネルギー工学科学研究院」。
フォンテーヌ科学院は400年前、アラン・ギヨタンによって設立された。多くのクロックワーク・マシナリーが科学院によって開発されてきた。
近年、エドウィン・イースティングハウスがアルケウムを用いた実験を行っていたが、アルケウム鉱石が大爆発を引き起こし、科学院の三分の二を吹き飛ばして多くの死傷者を出した。現在は技術官僚たちの指揮下で再建が進められている。
近年、エドウィン・イースティングハウスがアルケウムを用いた実験を行っていたが、アルケウム鉱石が大爆発を引き起こし、科学院の三分の二を吹き飛ばして多くの死傷者を出した。現在は技術官僚たちの指揮下で再建が進められている。
フォンテーヌ科学院の研究員。自分は科学院で働くのに向いていないと思っている。エドウィンが率いるアルケウム研究プロジェクトのメンバーで、補助業務を担当していた。仕事に行く気力がなく、休みを取って家で寝ていたために爆発を免れた。
フォンテーヌ科学院の元上級技術官。科学研究以外の一切に関心がない。第二次大水期に備えてアルケウムの研究を進め、実験用フィールド生成装置を開発した。次期院長と目されていたが、実験の途中で大爆発が起き、科学院に大きな被害をもたらした。彼も死亡したものと思われていたが、実験室におらず生存していた。その後もファデュイの支援を受けながら研究を続けたが、発見されてメロピデ要塞へと送られた。
フォンテーヌ科学院の研究員。かつてグザヴィエと同じ研究室に所属しており、色々と指導を受けた。整理整頓にうるさい性格。廃墟となった科学院を離れ、気分転換のためにスメールを訪れた。
フォンテーヌ科学院の研究員。以前は多相チューナーの治水における応用を研究していた。ルミドゥースハーバーのアクアロード建設プロジェクトが中止になった後、翹英荘に派遣されて茶釜の補修を手伝っている。璃月旅行が好き。マオからは大山(ダーシャン)と呼ばれている。
フォンテーヌ科学院の元研究員。消極的で気が弱い。熱動力工学分野の専門家。彼の「ボイラー」のプロトタイプが研究室を廃墟にしてしまったため、メロピデ要塞に投獄された。刑期を終えた後はサーンドル河の住人となった。
フォンテーヌ科学院の元上級研究員。人脈作りや甘い汁を吸うのが得意で、悪評が高い人物。レモンド一派とは不仲で、ボシュエの失脚後にチャンスが巡ってくると思ったが目論見が外れた。現在はメロピデ要塞の囚人。
フォンテーヌ科学院の事務官。延々と空虚な言葉を喋り続けていられる。レモンドと共に科学院の再建を主導し、人手・財政予算の分配、経費の裁可、訪問者の受付などの業務を担当している。何度もエドウィンのプロジェクトの審査責任者となって不正を調べようとしたが、「官僚化的圧力」として反発を受けていた。
フォンテーヌ科学院の元上級研究員。エドウィンの部下であり、科学院の中でも発言力があった。アルケウム動力コアを盗んで逃走し、ファデュイの保護下で研究を続けようとしたが捕まってメロピデ要塞に送られた。
フォンテーヌ科学院の研究員。情熱と創意に溢れ、しばしば小さなコストで素晴らしい成果を出す。アルケウム研究プロジェクトの第三技術班に入って抑制機の構造設計に携わり、エドウィンと出会って彼を崇拝するようになった。爆発事故の後はエドウィンの無実を主張し、自ら進んで事件の特別調査員になったが、彼と再会して現実を突きつけられた。
フォンテーヌ科学院の元上級技術官。シセリー曰く「目がかすんだおっさん、創造性のない研究員、うぬぼれ屋の名誉お飾り、そして部下の研究員がいないとなんにもできない論文の寄生虫」。ギヨタン型よりも出力の大きい新型奇械コア構造に関する論文を発表し、年間最優秀論文に選出されて上級技術官の称号を得た。ジュヌビエーブの論文捏造の責任を負って辞任に追い込まれた。
フォンテーヌ科学院の研究員。「ポータブルミニプネウムシア貯蔵装置」の研究プロジェクトに携わっていたが、爆発事故でチームのリーダーと大半のメンバーを失った。その後は冒険者協会と提携し、「ポータブルミニプネウムシア貯蔵装置」のプロトタイプを組み込んだ「超高圧インパクター」を開発している。
フォンテーヌ科学院上級技術官僚。科学院の再建を指揮している。以前は上級研究員で、フォンテーヌ科学院第二期拡張工事の責任者を務めたこともある。エドウィンと共同でアルケウム動力コアを研究していたが、アルケウム鉱石の扱い方を巡って対立した。
フォンテーヌ科学院の元エンジニア。マシナリーの力を借りて「絶対的美学」を追求していたが、実験中の事故で同僚たちの外見に損傷を与えてしまい、メロピデ要塞に送られた。刑期を終えた後はサーンドル河で整形スタジオを開くための資金を集めている。
フォンテーヌ科学院の初代院長。「奇械公」の異名を持つ。ギヨタン式動力コアは現在に至るまでクロックワーク・マシナリーの基礎となっている。
フォンテーヌ科学院のエンジニア。故人。伝統的なクロックワーク・マシナリーの研究領域における指折りの権威だったが、クロックワークの研究が停滞するにつれて隅の方に追いやられ、経費は削減され、研究員の採用も減少した。一連の不運な出来事の後、ビュトールの研究チームは解散を宣言し、ビュトール自身も早くに亡くなった。
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